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テレビ朝日『笑顔の約束~難病ALSを生きる~』を見て感じた違和感

テレビ朝日で放送された『笑顔の約束~難病ALSを生きる~』を見た。
呼吸器を付けないという選択をして46歳にして亡くなった方のドキュメンタリーで、どのようにその選択に至ったのか興味深かったので見てみたが、もやもやした気持ちが残った。

その選択は本当に本人の意思か

ALSを発症した段階から、担当の医師からは毎回呼吸器を付けるかどうかの確認はされていた。しかし本人の意思は固く呼吸器を付けないという選択は覆らない。番組では高齢の両親による介護の様子が繰り返し流れその負担の大きさが窺える。両親も持病を抱えている。呼吸器を付ける選択をして「両親の寿命を縮めるようなことはしたくない」というようなことが語られる。

なぜヘルパーを利用しないのか

1ヶ月の内2週間は両親の負担を和らげるため(レスパイト?)入院。それでも深夜も2時間毎に姿勢の調整があったりと在宅での介助は負担が大きく、母親は短い時間に深く眠れるように睡眠薬に頼っている。なぜ制度を利用してヘルパーを使わないのか。ALSのような重度の難病の方を受け入れる事業所が近隣に存在しないのかもしれない。家族以外の他人のお世話にはなりたくないのかもしれない。しかしその点は語られることがなかった。

尊厳死

きっとこのドキュメンタリーは尊厳死の問題に対して触れられている側面もあるのだろうと思った。人間の生は限りあるもの。限りある生を自分らしく生きたい。自分らしく笑顔でいれるまま死にたい。自分はALSが原因だが人間の命が有限であることに変わりはない。そのような考え方は得てして美しく見えるが自分は同意しない。生の可能性を放棄することが美しいとは思わない。泥臭くとも可能性を信じて生き続けることもまた美しい。美しくなくとも、生きることに意味なんていらない。

医療の可能性

番組ではiPS細胞の話など先端医療の可能性も取り上げられる。しかしすぐに特効薬が開発されるわけではない。それならば過程として(根本的な治療法が発明されるまでの繋ぎとして)呼吸器を付けるという選択も尊重されるべきだ。先端医療の話を取り上げるなら呼吸器を付けて生活する人の日常も取り上げてほしかった。日本には9000人のALS患者が存在してその7割が呼吸器を付けないという選択をするらしい。


個人的に呼吸器を付けて生活されているALSの方の介助をさせていただくことが多く、その点自分の考えは偏っていると思う。しかし呼吸器を付けながらでも自分らしく生活される方々と関わらせてもらっているからこそ、呼吸器を付けないという選択をしないと自分らしく生きられないという風に思われるのは残念だ。