石井誠さんの死に寄せて

ヘルパーとして関わらせていただいていた書道家の石井誠さんが急逝されました。

最後にお会いしたのはお亡くなりになる3日前でした。その日は石井さんの体調も問題なく夕方頃から作品制作のお手伝いをさせていただきました。作品制作の現場に立ち会うのはそのときが初めてでした。はじめ普段と違う形でベッド上で仰臥位で書こうとされましたが墨が垂れTシャツや身体が墨だらけになってしまったので普段通りの形に戻されました。なぜいつもと違う形を試したのだろうと今になって改めて考えます。10枚ほど書かれたあと休憩され体力的にも限界だろうと自分が後始末を始めようとすると「まだ書くで」とのことで引き続きもう10枚ほど書かれました。後半に書かれた『一』という字を気に入られました。

力強い線が書けた現状への自信、書けなくなるかもしれない未来への不安などを話してくださいました。自分は「力強い線もいいですが今後変化していくとしたらその線も面白いのではないですか」ということを話したのですが、今になって思えば軽率だったかもしれず心残りです。聞けば『一』という字を書いたのは3年半ぶりだそうで、長い入院生活からやっと退院して自宅へ戻り再出発の意味も込めて書かれたのではないかと思いました。

その後体調が急変し病院へ運ばれたことを同僚のメールから知り、せっかくやっと自宅へ戻れたのに同じような症状でまた入院されることは辛いだろうなと思いました。あのときは体調も良さそうだったのになと。

今度もし病院で会うことがあればどんなことを話せるだろうかと思っていたりした矢先、お亡くなりになったことを知りました。メールの文面というものは事務的で現実感がなく信じられない気持ちでした。枕経をされているとのことで自分はちょうど休日だったので電車に乗りご自宅へ向かうことにしました。

ご自宅では石井さんはいつも付けられていた呼吸用のマスクを外され安らかな顔で眠られていました。まるで本当に眠っているかのようでした。マスクを外された状態をじっくりと見たことがなかったので「歯が黒ずんでいたんだな」とか「顔が細いな」とかそんなことを思ったりしました。最後の制作に立ち会わせていただいた記念に『一』の写真を撮らせていただきました。

Posthumous work of Makoto Ishii

生きることへの強い欲求を感じる方でした。はっきりと話されたことはなかったですが、何気ない会話や、なにより作品の力強い線からそれを感じることができました。

生きたいと強く願う人が生きられないのはおかしいと思いました。現代医療・テクノロジーの限界などはあったのでしょうが、それでも何か方法があったのではないかと思わずにはいられません。障害があっても卑屈にならず常に前を向いて表現し歩んでおられました。きっと心が折れ弱音を吐くこともあったのでしょうがヘルパーである自分の前でそのような部分を見せられることはありませんでした。

何不自由のない身体でなんとなく生きる自分にとって、障害というハンデをもちながらも生きることの欲求を強く持ち続けた石井さんは眩しく映りました。ほんの少しではありますがその生活に関わらせていただいたことを幸運に思います。

改めて、ご冥福をお祈りします。